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ホロスコープはいかに弱まるか(How the horoscope seems to weaken)

Tyl HP, July 31, 2008  


私の最も古くからのクライアント(もう35年程のつきあいになります)は現在65歳ですが、政府のためのハイレベル経営コンサルタントとして、素晴らしい国際的経歴(75ヶ国における)を 楽しみつつ積んできました。彼のホロスコープは現在、非常にダイナミックな変化/成長(SA天王星=冥王星に集約されたもの)を示しています。..しかし、彼の職業的生活の情況は落ち着いています。

彼はまさしくスケールの大きなコンサルティング活動へ向けて「探り」を入れています。−可能性として、そういった雰囲気は感じられます−しかし、相変わらず長いこと電話はかかってきません。

これに関する私たちの議論では、2つのポイントをカバーしました。1つ、湧き出てくる個人の潜在性(可能性)に対しては、環境が協調する必要があるということです。−彼の行おうとしていることは今は危険な事柄です(この時勢、特に彼の専門分野においては、です)。そして2つ目に、ホロスコープが年齢と共にどのように弱ってくるかについて、私は説明しました。表現の優先順位、個々の欲求の強さ、エネルギー発揮パターンの変化などにより、ホロスコープが表現し得るレベルはシフトします。

私もまた、自身のホロスコープでこれを確認しました。非常に長い年月、私のキャリア発展のメリハリをつけてきた天体配置に対する夢のような反応は無くなりました。現在、私はたくさんの冥王星的パターンを消化し、事態は沈静化しています。

なぜそうなのかについて、一緒に考えてみましょう。答えは占星術にあるのでなく、いかに環境が占星術を条件づけるかにあります。

木星:この元型(アーキタイプ)シンボルは、人生における報酬についての欲求や期待の方向性を定めます。しかし、年齢が高くなってから木星が出生の木星自体や太陽にアスペクト(トランジットあるいはアーク)したとき、何もせずに過ごしてしまうことがどれほどあるでしょう。説明するまでもありません。−これは、老化について見ないふりしている社会を反映していると私は思います。木星の言わば「あごひげ」は、あまりに長くなりました。60歳までに、トランジットで12回のサイクルがあります。社会は、私たちをもてあましてしまったのでしょうか?−誰が60歳の人間を雇うでしょうか。誰が60歳の人間を昇給させるでしょう。誰が壮大な機会を与えてくれるでしょうか?

土星:この元型(シンボル)は、野心として焦点化します。しかし歳をとると、その野心は安全に対する関心へとシフトします。私たちは、大きな変化の期間に際し、いかなる種類の危険(一時的なものであっても)のリスクをも負うことができなくなります。−また私たちは、人々が引退するのが年々早くなっていることに気づきます。定年は、もうすでに65歳以上ということはなくなり、60歳に近い年齢になってきています。これは土星の2周分です。

天王星:歳をとるほど、個性化エネルギーは疲労します。自身が知る最高の方法で、私たちは既に自分を売りました。社会は言うでしょう−「私たちは最高のあなたを見ました」 あなたはもう、他者を奮起させるために(自らの)ふるまいをモデル化することはできないでしょう。もうお休みください。

海王星:歳をとるほど、精神的な感覚が人生を説明するようになります。ビジョンを表現するよりむしろ、内なる声を聞く力が勝ります。内向することは、とても快適な領域を個人にもたらします。私たちは強く夢見るエネルギーを失い、また外界の機会はベールを被っています。

冥王星:歳をとるほど、私たちは人生の終わりや、重大な病気の悪化などを恐れます。私たちは、あらゆる保安(健康と社会保障)を確立する政府の計画に非常に熱中するようになります。私たちの展望(冥王星を描写する最も偉大なキーワード)は強力に変わります。私たちはもうパワフルではありません。自身の年齢を生きるのです。

上記で共有したものはいずれも、ネガティブさや失意、無益さを明瞭にするためのものなどではありません。上記の考えは、常に変化している私たちの人生の現実の局面において、レベルを確立するのに単に役立つ、といったものです。歳をとるほど私たちは、昔のようには、自分自身に対して約束をすることができなくなります。70歳は40歳と同じではありません。そして占星術は、それを反映するものでなければなりません。−歳をとるほど、人は雇われにくくなります。野心は休息します。答えは直観により導かれます。私たちは記憶を誇りにするようになります。そしてとりわけ、健康面に気を使います。私たちの占星術は、慎重さや知恵の光により、これらを反映しなければなりません。

(訳:石塚隆一 校正:石塚三幸)


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