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カスプの概念とインターセプトの洞察

Tyl HP Analytical Techniques 2000 Mar 31


占星術において大変重視される2つの軸は、もちろんMC-IC軸とASC-DSC軸です。前者は生まれた時間で決まり、後者は生まれた場所で決まります。この2本の軸により、人生における個人の適応の境界が定められます。またこの2本の軸はレクティフィケーション(時刻修正)において、なくてはならない重要なものです。

私たちが使用しているハウスシステムは、人生の体験に「個性を与える」ために時間と空間を任意に分割したものです。この体系は、あらゆる物事の解釈に扱いやすい秩序をもたらすべく考案されました。この「分割」(ハウス)には、特定の生き方や人生における活躍に対しての主観的評価という観点から、魔術的あるいは経験則的な意味が与えられています。時間と空間の分割であるハウスシステムには、50〜60の種類があります。

イコールハウス以外のすべてのハウスシステムでは、アセンダントとMCの位置は変わりません。ハウスカスプ(2-8、3-9、5-11、6-12)のみ、2〜4度程度変わることがあります。

百年程前、イギリスで占星術の学習や占星術市場が盛況だった時期には、ハウスカスプは大変重視されていました。ハウスカスプを重く見る傾向は、プラシーダスハウス(プラシーダス・デ・ティトが考案)を標準ハウスシステムと定義する動きを促進しました(リリーや他のイギリス人占星家が採用していたキャンパナスハウスシステムを捨てて、です)。そして現代私たちはプラシーダスハウスを優先する見方を引き継いでおり、ハウスカスプは解釈上神経質にならざるを得ない重要なポイントだと考える傾向にあります。

私の生徒たちはしばしば、「カスプにとても近い天体についてどう読むのですか。どちらのハウスに入っていると考えれば良いですか。」あるいは「プラシーダスハウスシステムではこの天体は11ハウスにあるのですが、コッホシステム(ドイツで生まれた別のハウスシステム)では10ハウスに入ります。どちらで読めば良いでしょうか。」などと質問してきます。

現代の「人生経験」についての全体論的、心理力学的な観点では、ハウスカスプの独特の区分には「余波」の概念が浸透しています。つまり、あるハウス内の顕著な1つの焦点がホロスコープ全体に影響するということです。例として、水のいっぱい入った12個のグラスをできるだけぴったりくっつけて円形に並べてみてください。この状態で、ある1つのグラスに水を注ぎ足す(特定のハウスにおけるある天体の強調)と、あふれた水(特定ハウスの天体強調による影響)は他のすべてのグラス(体験の領域)へと波及していきます。例えば、私が自分自身をどのように認識するか(2ハウス)は、他に対して自分をどのように打ち出すか(5ハウス)や、対人関係をどのように維持するか(7ハウス)、また他人からもたらされる物事に対する自分の期待(11ハウス)などに影響しています。

もし、ある天体がハウスの境界にあってどちらのハウスに属するか分からないとしたら、余波の概念の観点でそれをどう捉えたらよいのでしょうか。*2つのハウスを合わせたちょうど真ん中にカスプを引くのでしょうか?(is the cusp perhaps the middle of the Houses? )*。天体の強調がどの体験領域に属しているかはホロスコープ全体から推論しなければなりません。占星家は単刀直入に質問し、クライアントの応答からどの領域が焦点になっているかを判断すれば良いでしょう。しかしながら個々の人生は、占星家の完璧な予測を引き出し、その予測を反映させることが可能なほどに明確に範囲指定されているわけではないということを、私たちは素直に認めなくてはならないでしょう。占星術は指針を系統立てていくだけです。私たちは占星術の指針をクライアントの実人生に関連づけていきます。私たちの役目は、解釈を個々のクライアントに「適合」するように調整し続けていくことなのです。


マーガレット・サッチャー 1925年10月13日 午前9時 イギリス、グランサム 生まれ

イギリスの元首相マーガレット・サッチャー(ロデンデータ集で「A」ランク)の土星は蠍座13度46分にあり、アセンダントは蠍座15度16分にあります。この土星はどの視点から見てもアセンダント上(内)にあり、主要な関連ハウスは12ハウスではありません。彼女の土星は3ハウス(考え方)を支配し、強力なアスペクトを受けています。イギリスのメディアは彼女を「鉄の女」と名付けましたが、まさにこれは土星的な描写です。彼女の月は獅子座28度38分で9ハウスの終わりにありますが、この月が乙女座3度51分から始まる10ハウス(任務の遂行)に劇的に関連していることは明白です。

おそらく私たちは、個々に独特な時間-空間の構造を持っているのではないかと思います。プラシーダスシステムは、おそらくこれらすべてを見るのに最適な「レンズ」なのでしょう。占星家は自分の人生観に最も適合した「レンズ」(システム)を通して対象を見ます。とすると、解釈の媒介としての占星家は自分の「時間-空間の連続体」を通してクライアントを理解することになりますが、常にクライアント自身の「時間-空間の連続体」による展望を尊重すべきであることは言うまでもありません。ひとつの例ですが、ジェフリー・グリーンのホロスコープを見る時私はプラシーダスシステムを使いますが、ジェフリー自身はポーフィリーハウスを使って自分の人生を把握しています。(ジェフリーが私のホロスコープを見る時は、彼自身の「時間−空間の連続体」を通して私を解釈します。)

つまり、ハウスカスプ位置はそれほど厳密な問題にはならないということです(宿命的な不変の法則を探し、分析の堅苦しい規則に縛られている占星家にとっては厳密な問題であるかもしれません)。例えば、9ハウスの土星または金星がMCの1.5度手前に位置している場合(MCにアプライであることに注目してください)、その天体はおそらく9ハウスと10ハウス両方の領域で働きますが、MCの方により重大な影響力を持つと私は経験から判断します。しかしもっと重要なことは、その天体のアスペクトの状態とその天体が支配するハウスとの関連性です。「Synthesis & Counseling in Astrology」の「Rulership Dynamics(支配星の動的影響)」を参照してください。

<インターセプション>

オレンジの表皮を剥いてみると、中のひとつひとつの房の幅はオレンジの「赤道」付近で一様に広がっており、極へ近づくほど狭まっています。地球上のある場所、人生のある時期の天体位置を留めるハウスシステム(空間と時間の分割の象徴)において、これと同様のことが起こります。例えば「地球上の気候に関する私たちの知覚」という、両極へ向かうに連れ細く狭くなる「房」をイメージしてみるのはそれほど難しいことではないでしょう。サインは、ハウスシステムの観点で束ねられてしまうのです。

私はノルウェー人のホロスコープを多数解釈しましたが、中には出生地があまりに北のためプラシーダスシステムで計算できない(コッホシステムなどに切り替える必要のある)ケースもありました。3ハウスの太陽が、9ハウス内のいくつかの天体に対しセクスタイル、スクエア、トライン、オポジションの4種類のアスペクトすべてを形成しているチャートを私は見たことがあります。9ハウスと3ハウスが拡張しとても大きくなっており、それに伴い他のハウスが漸次とても狭く小さくなっているのです。このようなチャートを解釈するに当たり、現実的な問題は特にありません。ルーラーシップの働きは「人生経験」として、ハウスという固まりを超えホロスコープ全体へと波及していきます。

イギリスや北ヨーロッパなどでは二重のインターセプションは頻出します。たとえ三重のインターセプションを見ても、驚いて眉をひそめることはないのです。

インターセプションという言葉は「監禁」の意味を持つため、何らかの形で天体が檻に入れられ、隔離され、制限されている状態であると古い教義にはあります。しかし、これはどう考えても筋の通った見方ではありません。このような古い教義はおそらく、古典的なホラリーの原理が出生図解釈にまで持ち込まれたものでしょう。

インターセプションの解釈において欠かせない考慮点は次の3つです。

1.そのハウスの支配星として考慮すべき天体が2つ(あるいは3つ)になること。例えばハウスのカスプが乙女座で、天秤座がそのハウス内にインターセプトされている場合、水星と金星両天体のアスペクト状態をそのハウスに関連づけて解釈します。

2.ソーラーアークやトランジットがそのハウスを通過する期間が長引くこと。インターセプションのハウスは大きく、度数は多くなります。したがって天体がそのハウス(体験領域)を通過する時間は長くなります。ソーラーアークやセカンダリープログレッションの月についても同様です。インターセプションによるこのような付加的な活動強調が、例えば10ハウスで起きているとすれば、どんなことが推測できるでしょうか。

3.そのハウスの重要性が増すこと。天体が多く入る可能性があることや、トランジットやソーラーアークの期間が長くなる(必然的に在住天体へのアスペクト期間も長くなる)ことから、そのハウスはより多くの展開、発展性を包含します。最近、インターセプトの9ハウスに6天体が在住しているクライアントのカウンセリングの冒頭で、彼女は「自分は国際的な弁護士であり、女性の権利を守る活動で48ヶ国を旅しました」と自己紹介しましたが、私は驚きませんでした。

(訳:石塚隆一 校正:石塚三幸)


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