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月を考える
(Moon for Thought)

Tyl HP Analytical Techniques March 30, 2010


月は記憶のすべてを象徴します。ちょうど太陽の光を集めるように、月は象徴的に私たちの人生の体験を集め、人生の成長プロセスにおける統括的欲求へ向けて方向付します。これは単に数年前の電話番号や映画の内容を思い出すだけではなく、私たちが何であり何故自分自身ののかという体験的な印象を思い出しているのです。私たちは学習した記憶により支持される行動パターンを発達させますが、それは月のエレメントやモードの特徴に強力に焦点化しています。

私たちは月をエゴの強さの倉庫として理解することができます。アスペクトによる修正はそれらの強さを補強するか、反対に障害になるようなものごとを推測させます。(S&C p652-654 「抑圧」参照)

月が火のサインに入っている場合、統括的欲求に関連する行動パターンにおいて強力なエゴ意識を認識する必要があります。この衝動がしっかりと発達していること(例えば、牡羊の広く表現される一番になりたい欲求や行動パターン)が見られない場合、私たちはホロスコープ上に何らかの成長における「配管の問題」があることを知ります。

何が問題になるでしょうか。はっきり定義されたエゴの表現、その認知を妨げているかもしれません。それはどこから始まるでしょうか。初期に成長時のサポートがなかったのでしょうか。何故なかったのでしょうか。

獅子の場合、火のサインでも少しニュアンスが変わります。エゴにより勝つことから、前提とされた、つまり期待された優雅さを評価されることが重要になります。そしてそれが得られない場合、問題が起こるでしょう。初期の家庭に始まった古いパターンは友人グループでの対人関係の発達へと拡張されていきます。

射手の場合、説得というニュアンスに変わります。販促プレゼンテーションと言ってもよいでしょう。他人に「私の言う内容を聞いて、それを尊重して欲しい」という欲求があります。私たちは、布教活動の知識やテクニックを何が補強するかを尋ねなければなりません。自己主張のプレゼンテーション中に自己価値の発達度合に関して何が聞こえるでしょうか。自己を定義する「物質的文化」、自分の刻印についてはどうでしょう。

これらのサインに示される問題は分析を横道にそらせ、内向的な牡羊や自己非難の獅子、無気力な考えの射手という状況をつくってしまうことも。潜在性の妨害を通し、成長の緊張は分析の中でドラマティックな重要性を持ってくるでしょう。

風のサインでは、個人的な成長のために他人を強く意識します。私たちは他人が自分が誰であるかを反射して返してくれることを必要とするのです。他の人々や彼らの成長の問題が良きにしろ、悪しきにしろ混ざってきます。天秤座の月のエネルギーの象徴はエゴのポジションを決めるために社会的な反射に頼ります。

私たちは自分が考えるように一緒にいるとよい人かどうか決めたい欲求があります。天秤の月の最初の鏡は何処にあったでしょうか。反射する人の前にあるロウソクはとてもありがたいものです。光の源を失うのは簡単です。自分で光ることは継続的な必要性になります。

水瓶では、この統括的欲求はほとんど例外なく他人を助ける視点でアイデンティティを定義します。何故でしょう。それは、自分が行ったことを他人が評価することで自分が誰であるか、自分についてどう感じるかを確立するからです。「助けてくれてありがとう」これは、ギブアンドテイクという関係の絆の認知です。したがって、参加しなければ、道から外れてしまいます。

双子は、射手と同様、柔軟サインなのでコミュニケーションやエンタテインメントの大きな欲求を定義します。「エンタテイン」という動詞は「喜ばせる」という意味があります。何故そんな風にする必要があるのでしょうか。興味深く、望まれる人間になるためでしょうか。双子は自身の才能をものごとの中心に持ってくる必要があるのです。射手からのこだまを感じることができるでしょう。射手はおそらく知性や大きな概念を利用します。双子の月はものごとが動くために刺激されることを象徴します。そして評判を他人とシェアするのです。

社交的になること、他人と相互反応することには、提示する能力が必要だということをしっかり観察する必要があります。マナーや博愛主義、コミュニケーションの技術です。これらに関する問題は欲求不満につながります。

ここでの両親の模倣の要素とは何でしょうか。自己価値の感覚や愛される存在であるという感覚がしっかり発達しない場合、このような社交のプロセスにどんな影響を与えるでしょうか。極端な過剰補償につながりますか。引きこもりになることは。

水のサインでは、統括的欲求の構造は感情に焦点を持ちます。それは単にドラマティックな個人の表現ではなく、内面の心地よさが重要です。行動パターンは内面の世界を充実させるために機能します。

蟹では、家庭の安全を求める統括的欲求があります。両親の抱擁はとても重要です。その点に関して裂け目や継続的な問題が存在するとき、蟹の月の内面の世界は動揺します。引きこもりが起こります。空気に傷心が浸透します。体重の問題に気をつけましょう。それは大人の生活においてもこだましていますか。感情的な傷はどう対人関係を色付けますか。

蠍の場合、欲求はコントロールを求めます。何故それはしばしば極端なのでしょう。コントロールが武器になってはいませんか。家族内や他人に投影された力争いに関連していませんか。成長の緊張の中で、感情を感じることは迷惑から犠牲までさまざまな次元の恐怖になることがあります。そのため、自己保護が統治をするのです。

魚では、月の欲求、つまり人格の発達衝動は、コントロールの色は薄れ、より適応という要素が強くなります。非現実の理解や現実化へ向けた優しいプッシュです。もしも初期の家庭で敏感さが支持されず、光に照らされなければ、犠牲という概念が侵入してきます。魚の月は簡単に自己批判的な殉教者の役割に適応します。理想化は幻滅を招きます。十分に理解されないでいることが人生の中で当たり前になってしまいます。

これらの水の月の人生の中で芸術はどのような役割を果たすでしょうか。芸術は感情を補強し、それらの説明を可能にし、それらの共有を可能にします。

地のサインでは、統括的欲求はものごとを達成することが焦点になります。山羊では管理的なかたちで効果的である必要があります。月は進行している仕事の上に輝くのです。初期の家庭に権力者の模範があったでしょうか。初期の仕事の衝動はどのように認識され、方向づけられたでしょうか。

牡牛では、欲求は現状を保護すること、すでに確立したものの上に積み上げながら、変化には抵抗することです。そのポジショニングはどれだけ厳格でしょうか。対人関係に必要なギブアンドテイクをどれだけ容認できるでしょうか。

乙女の場合、私たちは柔軟のモードで新しい力学を体験します。射手では重要だと考慮される必要があり、双子は興味をそそる、情報通であると認識されたく、魚は健康的に空気のように評価されたいのですが、乙女は、正確で、適切で、正義である必要があるのです。そんな行動パターンの色合いは何処からくるのでしょうか。初期の家庭で誰がそれを補強したのでしょうか。それは寛容されましたか。保護として現れたのですか。大人になってそれは優雅に花開いていますか。それから得られる報酬や負担は何でしょうか。

すべてにまして、この(そして他のすべての)欲求を充足するための行動パターンはしっかりマネージされていますか。

もしそうでなければ、それは何故でしょう。そしてどのように人生を改善することができるでしょうか。

私はこれらの考えが私たちがサインのアーキタイプをマネージするやり方に更なる命を吹き込むだろうと思います。とくに月の象徴における統括的欲求の力、衝動を通して。

(訳:石塚隆一 with miu)


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